2012年1月17日 (火)

トルコ旅行 九日目-2 12月16日(金)と 十日目17日(土)

10:30 いよいよイスタンブールの街とお別れです。  最後のトイレ休憩をして、昼食のランチパックを分けてもらってバスに乗り込みました。Dscf1457
11:10 「アタチュルク国際空港」到着。  杉山さんガイドのアイハンさんのサインをもらっていました。  見せてもらいましたが読めませんでした。  アイハンさんに「トルコは素晴らしい国でした。まだまだ未来に向かって大きく発展していく国だと感じました。と話すといつも明るいアイハンさんが少し表情を曇らせて「ありがとうございます。でもトルコの周りには政情不安定な国々がありますので、あまり楽観視できないのです。」という返事でした。  確かに経済的に不安定なギリシャや、政治的に不安定なイラン、イラク、シリアなどと国境を接しているわけですから、日本では考えられないほど外交問題が国の将来に大きく影響することをトルコの人たちは身に染みて感じているのだろうと思いました。Dscf1462

13:35発 アブダビ行きの EY-096便で出発です。Dscf1466
この飛行機ではありません。  これはトルコ航空の飛行機です。Dscf1471

これが「エティハド航空」の搭乗券です。Dscf1474
搭乗するとくつろげる様にという配慮かスリッパが置いてありました。Dscf1476
14:10 早々と搭乗しましたが、定刻を30分過ぎても未だに離陸しません。   ふと外を見るとなんと雨が降ってきました。  降雨確率が60%~70%位というトルコの冬のシーズンに来て、観光旅行中は一度も雨に合わなかったのに帰国の飛行機に搭乗したとたんに雨が降るとは、なんとラッキーな旅だったということでしょうか。( ^ω^ )Dscf1480
14:25  約1時間遅れでやっと離陸です。  「さようならトルコ」Dscf1481
機内は比較的に空いていました。  シートは3-3配列でした。Dscf1478
「おや・・」お疲れのようです。Dscf1479
15:00 トルコ上空を東南の方向へ飛んでいます。    Dscf1490
15:25 アンカラ上空を通過。Dscf1492

15:30 夕食が出てきました。

17:30 ここで時計を2時間進めました。 アブダビ時間です。(日本との時差は5時間です)

夕食メニューは「ケバブ料理と野菜」をチョイス。 デザートはお米が入ったプリン?でした。

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18:20 西の空に夕日が沈みました。   「機上のサンセット」です。どこからか「ジェットストリーム」の音楽が流れてきそうな景色でした。Dscf1504
20:30 漆黒の闇の中に突然シャンデリアのような明かりが見えてきました。アラブ首長国連邦(UAE)の首都「アブダビ」の街の灯です。Dscf1511
アラブ首長国連邦・UAE(United Arab Emirates)は、7つの首長国の連邦国ですが世界でも有数な産油国ですから、国民には税金がかからず「ゆりかごから墓場まで」の手厚い保護が政府によって行われているそうです。  例えば「若者が結婚すると家を建てるための土地が国から支給される」とか。   でも国民は住民の20%位で、その他の住民はインドとかアジア方面からの出稼ぎ労働者が多いそうです。Dscf1516
20:30 着陸態勢に入りました。Dscf152420:36 着陸。
飛行機を降りると空港まではバス移動でした。Dscf1531
そして22:20 成田に向けてアブダビを離陸しました。 成田まで約9時間のフライトです。Dscf1540
12月17日(土) 1:50 インド上空を通過しました。Dscf1548
4:45 中国上空を通過中。  ここから日本時間にしました。  日本時間9:45です。  あと2時間20分位だそうです。Dscf1561

10:35 朝食です。 シャケの御粥に漬物にワカメの味噌汁。  久しぶりの日本食でした。Dscf1575
10:35 まもなく長崎上空を通過します。Dscf1585
11:20 高知上空です。  高知港が見えました。Dscf1588
11:25 徳島県をかすめて紀伊水道へ。Dscf1591
紀伊水道は雲の下でした。Dscf1593

11:28 和歌山県白浜町の上空です。 白浜温泉の海岸や白浜空港が見えました。Dscf1596

11:30 熊野灘に出ました。  熊野川、新宮が見えました。Dscf1597

11:40 浜名湖が見えました。Dscf1598

11:45 伊豆半島と駿河湾です。  翼の下に富士山が、その左には南アルプスが白く雪をかぶって見えました。  Dscf1607

11:50 房総沖です。  まもなく成田に到着です。  

12:10 無事に着陸しました。  ヤレヤレです。Dscf1608 

       スーツケースを宅急便で自宅へ送る手続きをして、
14:25  成田空港第一ターミナル発の高速バスで帰途につきました。
16:10  沼津インターを降りました。Dscf1616
16:30 沼津駅北口に到着。  駅ビルで晩酌用の「マグロの刺身」を買って・・・・・ 

17:05の東海バスで帰宅しました。Dscf1620

浮島ガーデン・独来処のブログをご覧いただきありがとうございました。   「トルコ旅行10日間の旅」如何だったでしょうか? 早く次をアップしてという声があり、できるだけ急いで編集しましたが、肝心の写真がぶれていたり、遺跡や遺産の説明をメモし損ねていたりで、かなりやっつけ仕事になってしまいました。  まだまだ報告したりなかったり、誤った解説をしてしまっているヶ所を気が付いていますので、今後少しづつ手直ししてアップしていこうと思っています。  旅行の下調べで楽しんで、旅行本番で楽しんで、このブログ作成で楽しんでと、一粒で三度美味しい?旅でした。

すでにトルコへ旅をして思い出しながら見てくれている方が大勢いらっしゃいますが、ブログ内容に誤記など気が付かれましたら、ご指摘いただければありがたいと思います。  よろしくお願いいたします。

2012年1月15日 (日)

トルコ旅行 九日目-1  12月16日(金)

6:30 起床  

7:30 朝食はバイキングDscf1220
8:00 ホテルから西の方角を見た景色です。Dscf1222

8:30 ホテルを出発して「ボスポラス海峡」の船着き場へ向かいます。  バスからホテルを振り返りました。  建設中のビルの左側が昨晩泊まった「シェラトン イスタンブール マスラックホテル」です。Dscf1231
途中のバス停には出勤途中の人たちがバスを待っていました。Dscf1242
10分ほどで、船着き場につきました。  ここはイスタンブール新市街から北へ10km位のところにある観光船乗り場です。Dscf1245
このクルーズ船に乗り込みます。  Dscf1249
オプションツアーですから、参加者は12人くらいでした。  8:45に出航してボラポラス海峡を南下し、イスタンブールの旧市街ガラタ橋の船着き場まで約1時間ちょっとのクルージングです。Dscf1250

出発したクルーズ船は、まず海峡を東へ横切りアジアサイト沿岸へ向かいました。  そこにはたくさんの小型漁船が釣りをしていました。  漁師というより趣味で釣りをしているように見えましたが・・・Dscf1263
ガイドのアイハンさんが説明してくれながらのクルージングですが、細かいことは記録できませんでした。  この建物は、どなたか有名人の別荘で冬の間は管理人さんだけが住んでいるとか言っていました。Dscf1265
こちらも、どなたかの別荘です。  別荘には全て船着き場が付いています。Dscf1272

9:00 「第二ボロポラス大橋」の下をくぐります。  この橋は昨日「アジアサイト」から「ヨーロッパサイト」に渡った「第一ボラポラス大橋」の5km位北側(黒海寄り)にある橋で、やはり大きなつり橋になっています。  全長は「第一ボラポラス大橋」と同じで1,510mあるそうです。Dscf1278

橋の向こう側が、ヨーロッパサイトです。  アイハンさんに「ボラポラス海峡」海水はマルマラ海から黒海へ流れているのか?逆に黒海からマルマラ海へ流れているのかと質問しましたら、意外な答えがかえってきました。 「海峡の水面に近い方の流れは北から南へ(黒海からマルマラ海へ)底の方の流れは南から北へ(マルマラ海から黒海へ)流れています。   ですから、「ボラポラス海峡」は船舶の重要な航路だけでなく、潮の流れが沢山の魚を育てててくれる漁場にもなっているんです」Dscf1285
クルージングのサービスドリンクは、「ザクロジュース」を頼みました。  潰したザクロがたくさん入っていて果汁100%ジュースでした。  ストローでは詰まってしまい飲みにくかったけど、新鮮で甘酸っぱく「これがザクロ!!」と主張してました。Dscf1289
「ボラポラス第二大橋」のヨーロッパサイド側は住宅地のようでした。Dscf1296
その「ボロポラス第二大橋」を過ぎるとすぐ、ヨーロッパサイドに城壁が見えてきました。   「ルメリ・ヒサル」です。  1452年にオスマントルコ軍がビザンチンの「コンスタンチノーブル」を陥落させるための足掛かりにするために、わずか4か月で完成させたと言われている「オスマントルコ軍の要塞」だそうです。  対岸の「アナドル・ヒサル」と共に、ビザンチンの援護に駆け付けた西欧の艦隊を足止めさせたそうです。  当時西欧の艦隊はドナウ川から黒海を経由して、このボラポラス海峡に入ってきたそうです。Dscf1295
これがアジアサイドにある「アナドル・ヒサル」です。 こちらの方が規模が小さい要塞です。Dscf1297

次に見えてきたのは「トルコフィアット社」の社長の別荘です。  Dscf1308

「トルコフィアット社」が製造販売するフィアットの大衆車はトルコではシェアトップだそうです。  その別荘は敷地内ケーブルカーで中腹の建物ともつながっていました。

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これも有名人の別荘でしたが・・・・

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次に見えてきたのは、元「陸軍士官学校」だそうです。  Dscf1319

こんなモスクもありました。Dscf1327_4
「第一ボリポラス大橋」の脇にある「ベイレルベイ」宮殿です。Dscf1330

「第一ボリポラス大橋」の下を、貨物船が南下して行きました。Dscf1333_2

9:30 「第一ボリポラス大橋」の下をアジアサイドからヨーロッパサイドへ海峡をよこぎりました。  橋の向こうはアジアサイドですが逆光のためシルエットのような写真になりました。Dscf1335
こちらがヨーロッパサイドです。 Dscf1337

「第一ボリポラス大橋」のヨーロッパサイド側の南脇にある「オルタキョイ・ジャーミー」は修理中で、二本のミナレットしか見えませんでした。Dscf1338
これは「ガラタサライ大学」です。  トルコ共和国の中でも最難関の大学で日本でいえば東京大学のような位置づけだそうです。  この大学はスポーツも盛んで、例えばこの大学のサッカークラブが「ガラタサライ」で、今はプロ集団となりトルコリーグを代表するチームとなっているそうです。Dscf1341
クルージングの船長と記念写真を撮りました。Dscf1343

さらに南下して、これは「チューラン宮殿」と言ってオスマントルコ帝国の最後の頃の皇帝が建築した宮殿で、1920年頃火災により外部を残して全焼してしまったが、その後1980年に修復されて、今はドイツ系の高級ホテルとして使われているそうです。Dscf1345
9:40 「イスタンブール旧市街地」が見えてきました。突き出た半島の先端の灯台。中央には昨日観光した「アヤソフィア」のドームやミナレットが見えました。Dscf1351

海峡の左には昨日観光した、アジアサイドの「ウスキュダル」辺りと「クズ塔」(乙女の塔)が見えました。Dscf1356

後ろを振り返ると、第一ボスポラス大橋が霞んで見えました。  そのはるか向こうが「黒海」です。Dscf1357
この「ドルマバチェフ宮殿」はオスマントルコ帝国最後の宮殿で、トルコ共和国になってから「アタチュルク」が亡くなるまで大統領官邸として使われたそうです。Dscf1362
さらに南下して、「トプカプ宮殿」の塔 「アヤソフィア」のドーム 「ブルーモスク」のミナレットなどがはっきりと見えてきました。Dscf1366
「ドルマバチェフ・ジャーミー」が見えました。Dscf1367
この辺りも海峡クルーズ船の船着き場になっていました。Dscf1372
9:50 トプカプ宮殿の「正義の塔」「アヤソフィア」「ブルーモスク」の6本のミナレットがはっきり見えてきました。  Dscf1393
ガラタ橋に近づいて、観光スポットの「ガラタ塔」も見えてきました。Dscf1396
そして昨日バスで渡り、徒歩で散策した「ガラタ橋」が見えてきました。  あの橋をくぐればクルージング終点の「金角湾」です。Dscf1405
10:00 金角湾の船着き場に到着しました。Dscf1419
次の目的地「リュステム・パシャ・ジャーミ」へ徒歩で向かいます。  金物屋さんでしょうか?ストーブ、バケツ、バーベキューグリル等を売っていました。Dscf1425

こちらのお店もストーブやトングやお鍋を売っていました。Dscf1426
このお店もストーブを売ってます。  この辺りはこの種の専門店が軒を並べているようでした。Dscf1427

10:10  「リュステル・パシャ・ジャーミー」(ジャーミーとはモスクのことです)  商店街のせまい路地裏を歩いて、行き止まりのようなところを二階へ上がると、そこにこじんまりとしたモスクがありました。それがイズニックタイルの美しさで有名な「リュステル・パシャ・ジャーミー」でした。  オスマントルコ帝国のスレイマン1世大帝の宰相であった「リュステル・パシャ」が奥さんのために建てたモスクですから規模は小さいけれどイズニックタイルをふんだんに使った美しいモスクになったそうです。Dscf1433
このタイルにはトルコの国花であるチューリップがデザインされていました。  特に赤い色は「トマトレッド」と呼ばれ、1500年代に作られたタイルにしか無い色だそうです。

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壁から柱、天井とブルーとレッドを基調にしたイズニックタイルがほぼ全面に使われていました。Dscf1442
柱を下から見上げると。Dscf1443

天井のドームもたくさん見てきた中で最も美しい仕上がりでした。  モスクというより芸術的な建物という感じでした。Dscf1449

確かに、全体が女性の目を意識して造られているモスクのようでした。Dscf1446

ガイドのアイハンさんが、イスラム式の礼拝の仕方を教えてくれました。Dscf1451

10:25 モスクの外に出ると、商店の軒先ではクリスマス用のディスプレー用品が並べられていました。  そういえば来週の土曜日はクリスマスイヴですね。Dscf1453
この後は、12月16日-2に続きます。

2012年1月14日 (土)

トルコ旅行 八日目-3  12月15日(木)

そして「ブルーモスク」の東側に「アヤソフィア」が見えました。  「アヤソフィア」はビザンチン建築の最高傑作と高く評価された「聖堂」で、6世紀に東ローマ帝国のユスチニアヌス1世によってギリシャ正教の総本山として当時のコンスタンチノーブルに建てられたそうです。   その後900年に亘ってキリスト教の寺院として存在していましたが、1453年にオスマントルコ軍によってコンスタンチノーブルが攻略され東ローマ帝国が滅亡した時に、祭壇や十字架は外され、キリスト教の壁画は漆喰で塗り固められ、ミナレット(尖塔)が追加されてイスラム教のモスクになったそうです。  ですから外観は写真のようにモスクに見えます。  4本のうち右側手前のミナレットだけが赤い色をしているのは、当時モスクにしたときに取り敢えず一本だけ煉瓦で造って、その後追加で次々とその他の三本を立てる時には石材を使ったからだそうです。  Dscf1104

20世紀になってトルコ共和国が誕生すると、その歴史的価値から博物館となって保存されることになったそうです。  今では国内外からの観光客はじめ多くの参観者でにぎわっているそうです。  中学生でしょうか。この日も大勢見学に来ていました。Dscf1111
先生に引率されて「アヤソフィア」に入場する中学生?Dscf1112
「アヤソフィア」は過去の戦乱による破壊や、長い年月に繰り返し起きた大地震で傷みが激しく倒壊する危険があるということで、この写真のように寺院を支える脚をつけて補強されていました。(アウトリガーのようなものでしょうか踏ん張って支えている感じです)Dscf1117
そして西側の入口から入場。Dscf1119
その入口の扉の外側上部にあったのがこのモザイク画。(中央にキリストが描かれています)  Dscf1120

Dscf0040_800x600_2キリストにひざまずいて礼拝をおこなうレオン6世皇帝、キリストの左側にマリア、右側に大天使が描かれていました。(10世紀頃のものだそうです)Dscf0040_800x600_3

中に入るとそこには荘厳で圧倒的な空間が広がっていました。  そして正面の壁にはイスラム教の「ミフラーブ」が、上天井近くにはキリスト教「聖母子」のモザイク画があるのですから、この「アヤソフィア」の数奇な歴史が一目でわかる感じでした。Dscf0072_800x591
1,500年という長い歴史との中で戦争によっての破壊や、繰り返し起きた大地震による損傷などを、その都度修復して来た寺院ですから、全体的には壁面のひび割れや天井ドームの歪みなどが気になりました。(この円形ドームの下の明かり窓のあたりが、何ヶ所か歪んでいるのがわかるでしょうか)Dscf1122

このアラビア文字が書かれた大きな看板のような物は「カリグラフ」と言うもので、「アラー」や「預言者」の名前が書かれているそうです。Dscf1125

メーンホールの左右の2階は回廊になっていました。Dscf1126

1453年に、オスマントルコ軍がこの地を占領した時に、キリスト教の旧祭壇や十字架は取り除かれ、壁に「ミフラーブ」が造られ、「カリグラフ」が掲げられイスラム教のモスクとなったそうです。   ところが祭壇上部にあったこの「聖母子像」は何故か破壊されずに漆喰で塗り固められたそうです。   その後20世紀なってトルコ共和国が誕生してこの「アヤソフィア」を無宗教の文化財とし博物館にして保存することになり、漆喰が剥がされて「聖母子像」も蘇ったそうです。Dscf1127

その「聖母子像」の左右の壁には復活した「大天使」の像が残されていました。Dscf0058_800x600
ガイドのアイハンさんから、ガイドフォンで説明を聴きました。Dscf1129
この柱には「聖母マリアの手形」という穴があり、この穴に親指を差し込んで残った4本の指を柱から離さずに1回転できれば願いが叶うと言い伝えられているものでした。Dscf1136

西村さんも挑戦。うまくいったのでしょうか? そして何を願ったのでしょうか?Dscf1137
その後、2階の回廊に上がるとそこには多くのモザイク画が残されていました。  これは「聖母子」と12世紀の皇帝「ヨハネス2世コムネノス夫妻」のモザイク画。(1120年頃)Dscf0060_800x600
これは「キリスト」と「皇帝コンスタンティノス9世ゾエ夫妻」のモザイク画。(1050年頃)Dscf0062_800x600

そしてこれが「ディシス」(1260年頃)のモザイク画です。  それまでのモザイク画と違って「キリスト」の顔が立体的に盛り上がって描かれていたり、左側の南窓から差し込む光を効果的に利用するなど、「ビザンチン美術」の最高傑作の「イコン」だと評価されているそうです。(クリックして大きい写真で見てみてください)Dscf1138

モザイク画下方のタイルは金箔を求めて盗まれたとのことです。Dscf1144

キリストの左側が「聖母マリア」右側が「洗礼者ヨハネ」だそうです。オリジナルの絵と説明の看板が出ていました。Dscf0065_800x600

元の絵はこんなものだったようです。Dscf1142
解説のプレートです。(未だ訳していません)Dscf1145
2階から見た中央ホール。  こうして見る天井や柱は、やはり基は教会だったことが想像できます。Dscf1146

これは「アヤソフィア」のメーンホールに入ったところに左右対で置いてあった「ベルガマの壺」です。  ベルガマの神殿遺跡の大理石で造られているそうです。  (大きくて目立ちますので我々ツアー参加者の集合場所になりました(o^-^o))Dscf1153
これは「アヤソフィア」の出口で振り返ったところにあったモザイク画は「聖母子」を真ん中に、右にコンスタンチノーブルの街を献上する「コンスタンチヌス1世」、左にアヤソフィアを献上する「ユステニアヌス2世」が描かれていました。Dscf0082_800x600_2

出口の扉は、床下へ10cm位もぐりこんでいました。  地盤が重さを支えきれないようです。  このまま無事に維持保存できるのでしょうか?  少し心配になりました。Dscf1154

アヤソフィアの外に出ると、中庭にこんな物が置かれていました。  7世紀頃の物だそうです。Dscf1156

「アヤソフィア」を出て振り返りました。  この近くに「地下宮殿」入口があるはずですが今回は時間がなくて立ち寄りませんでした。Dscf1160
「アヤソフィア」の前の公園ではトウモロコシが売られていました。Dscf1159

15:15 次の目的地「エジプシャンバザール」へ向かいます。  バスが走り出してすぐにイスタンブールの「シルケジ駅」の前を通過しました。(ここは横の入口)Dscf1163
「シルケジ駅」の正面は工事中でした。  この駅がヨーロッパからの鉄道の終着駅です。  あの有名な「オリエントエクスプレス」の終着駅だったところです。Dscf1164
15:20 エジプシャンバザール前の広場につきました。 この右側が「エジプシャンバザール」、正面のモスクは「イエニ・ジャーミー」です。Dscf1165
さて、「エジプシャンバザール」は、今回の旅行で買うお土産の穴場でした。 ツアーメンバーのほとんどの人が「こういう所へ来るならここで買えばよかった!!」と騒いでいました。  確かに今までの道中で「Yasuiyo!!  Yasuiyo!!」と言われて買ってきた雑貨土産物が、安いものから高いものまで、何でもありました。  有名な「グランドバザール」のほうが少しグレードが高い(観光客対象)バザールで、こちらは庶民相手(市民対象)のバザールという感じでした。   数あるお店の中、このお店は日本人の女性が店主の奥さんでした。Dscf1166

庶民的な「エジプシャンバザール」は、財布の薄い私にも楽しい市場でした。Dscf1167
冷かして歩くだけでも楽しい、面白い市場でした。Dscf1169
この後、自由時間が少しありましたので「金角湾」に架かる「ガラタ橋」へ行くことにしました。  この看板の下が地下道になっていて道路を渡ります。Dscf1188
道路下の地下街。 市民の日常雑貨を売っていました。Dscf1171
地下道を抜けると、ガラタ橋のたもとに出ました。 ガラタ橋は二層になっていて上は道路とトラムの線路、下は飲食店と商店が営業していました。  橋の中ほどは船が通過できるように下側の階層がありませんでした。  橋の上からは沢山の釣竿が差し出されて釣りをしていました。  さびき釣りで、ほとんどがイワシと鯵でした。  金角湾の向こうには新市街地にある「ガラタ塔」が見えました。Dscf1176
「ガラタ塔」は新市街地のシンボルタワーで観光スポットですが、今回は時間がなくて行きませんでした。Dscf1182

頭上は、釣り竿がいっぱい。  時々釣れていました。   この釣った魚は自家用と、小売り用だそうです。Dscf1181
良い匂いに振り返ると小舟の中で鉄板焼きをやっています。Dscf1186
近づいてみると、魚を焼いています。  緑の野菜も見えます。  もしかしたらと思った通り「サバサンド」でした。  三枚におろしたサバの中骨を取って鉄板で塩焼きにして、野菜と一緒にコッペパンのようなパンに挟んで、わら半紙のような紙に包んで3リラ(150円弱)。目の前で飛ぶように売れてました。(午後4時過ぎですから夕食でしょうか)   その活気のあること。   皆がウキウキしているように感じました。Dscf1184

おじいちゃん、おばあちゃん、娘に孫たちまで、わいわいがやがやと楽しそうに食べていました。Dscf1187
さて、もう一度地下道商店街を通って、エジプシャンバザールの広場へ戻ります。Dscf1189
この手編みのマフラーは10リラ(450円) 庶民価格で売られていました。Dscf1190
エジプシャンバザール横の食品市場では香辛料やナッツなどが豊富に売られていました。Dscf1192
こちらは鮮魚。 海に囲まれたトルコですから新鮮な魚が安く売られていました。Dscf1193
これは「豚足」?ではないようです。  イスラム文化では豚は食べませんから、ヤギとか羊の足だと思いますが?  では真ん中の大きな足は何の足?   牛かも?   お店の人は忙しそうでしたし、トルコ語は?だし・・・・・。  どなたかご存知でしたら教えてください。Dscf1191
17:00  レストランで夕食です。  さすがイスタンブール、「Gusta」という、違うビールが出てきました。  期待しましたが味はエフェスビールとほとんど変わりませんでした。Dscf1199
魚の出しのきいたスープ。Dscf1200
イカのリングフライ。Dscf1201
タイ科の魚?の煮たものがメーンディシュでした。Dscf1202
デザートは甘くて半分でギブアップ。Dscf1203
バスの車窓から見えた道路沿いの焼魚屋さん。  「あのサバサンドが食べたかったなあ」と未練を残しながら今夜のホテルへ。Dscf1205

トルコ最後の夜はイスタンブール郊外の「シェラトン イスタンブール マスラックホテル」。渋滞の中、市街地からは遠く離れたさみしい地区にあるホテルでしたが、部屋は広々とした大きな部屋でした。Dscf1208

腹ごなしにホテルの周りをウロウロしましたが、何にもありませんでした。Dscf1209_4

明日は5時半に起床、6時半朝食、8時半出発でオプションの「ボスポラス海峡クルーズ」に出かけます。( Good night ) Dscf1206

2012年1月11日 (水)

トルコ旅行 八日目-2  12月15日(木)

11:30 イスタンブール旧市街に向かって出発。 新市街と旧市街を結ぶ「ガラタ橋」の上には太公望の釣り人が大勢いました。(クリックして拡大してみてください)

遠くに見えるモスクは「スレイマニエ・ジャーミー」(オスマン帝国最盛期に君臨したスルタン、スレイマン1世が8年の歳月を掛け1557年に完成させたモスク)Dscf1009

「ガラタ橋」には、新市街と旧市街を結ぶトラムの線路も渡っていました。Dscf1010_2

旧市街に入りました。振り返ると窓越しに「ガラタ橋」と新市街、新市街のシンボルタワーと言われている「ガラタ塔」が見えました。Dscf1011_4
旧市街から、ボスフォラス海峡の向こうに「イスタンブール・アジアサイド」が見え、午前中に観光した「「チャムルジャの丘」や「乙女の塔」や「第一ボスフォラス大橋」などが霞んで見えました。(拡大して見てください)

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11:45 旧市街をボスフォラス海峡沿いに回り込んだ「マルマラ海」に面したレストランでランチです。 スープの後でメーンディシュに、この「ドネル・ケバブ」が出てきましたが冷めてしまっていて、残念ながらいまいちでした。Dscf1028
これはデザートのアイスクリーム。Dscf1029
レストランの傍にある観光バスの駐車場は、旧市街を囲む城壁が当時のまま残っていました。
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今朝迎えに来てくれた観光バスはドライバーが「エイップ」さん、バスは三菱フソウ製でした。(トルコにあるテムサというトラック・バス製造会社が、三菱ブランドをライセンス生産しているそうです)  今日とあすの二日間はこのバスで移動します。Dscf1033
13:50 再び旧市街に入り路地裏を走っていると「ブルーモスク」が見えてきました。  さすがにきれいな建物です。 この「ブルーモスク」だけは6本のミナレットを誇っていて、「写真を撮るならその6本のミナレットが入るようにとらなければ写真の価値がない」と言われるそうですが、大きな建物ですから難題でした。(この写真でも右側の一番奥のミナレットが写っていませんので、5本しか見えません) (ミナレットとは尖塔のことです)Dscf1035
この写真では4本しか見えません。Dscf1036
これでも5本しか見えません。Dscf1038

ここは「ヒポドローム」(馬の広場)というビザンチン帝国の大競技場跡の広場です。  その昔、この広場にはトラックがあり馬や人のいろいろな競技や戦車競技が行われていたそうです。  この八角形のドームは、1,900年にドイツ皇帝ヴィルヘルム2世がイスタンブールを訪問した時に、友好の印としてスルタン(国王)に贈った「泉亭」だそうです。
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これはエジプトのカルナック神殿から運んできたという「テオドシウスのオベリスク」です。奥のオベリスクはコンスタンチヌ1世が建てたと言われる「コンスタンチヌのオベリスク」です。Dscf1042

「テオドシウスのオベリスク」はもともとのサイズが30m位あったものがエジプトから運ばれてくる途中で折れてしまい、現在の約15m位になってしまったそうです。  古代エジプト文字の「ヒエログリフ」が鮮やかに刻まれていました。(紀元前1,500年当時のエジプトのファラオの偉業を讃えた言葉が書かれているそうですが???)Dscf1045

そのオベリスクの下の大理石の台座には四面に、こんなレリーフが施されていました。   このレリーフはこのオベリスクがビザンチン帝国のテオドシウス1世によつてここに設置された時に造られたものだそうで、この面はテオドシウス1世が貴賓席から勝者に月桂冠を授けているところだそうです。  15世紀にトルコ軍によってビザンチン帝国が滅ぼされ、「コンスタンチノーブル」がオスマン帝国の「イスタンブール」になった時も破壊されずに残り、そのオスマン帝国が1922年に「トルコ共和国」になった今も保存されています。Dscf1044

その隣には、紀元前5世紀ころにギリシャのアポロン神殿から戦利品として持ってきたといわれる青銅製の「蛇のオベリスク」がありました。  当時はこの上に三匹の蛇の頭に支えられた金のボウルがあつたそうですが、1200年ころの十字軍の略奪によって失われたそうです。  その後、オスマン帝国の時代に蛇の頭も無くなってしまったようです。Dscf1048
「蛇のオベリスク」から「ヒポロドーム」の北東に「テオドシウスのオベリスク」その向こうに「泉亭」が見えます。Dscf1054
そして右手に「ブルーモスク」(正式にはスルタンアフメット・ジャーミー)です。  やっと6本のミナレットが写真に納まりました。Dscf1060

13:20 この門をくぐって、「ブルーモスク」へ入場します。Dscf1064

ここは「ブルーモスク」の西側中庭です。Dscf1068

裏手にはこんな場所があり、机のように見えるのは棺桶を置く場所だそうです。  トルコでは死者は不浄なものとして扱いますので、葬儀の時にモスク内部へ入れることができないそうです。   ちなみにトルコでは今でも土葬だそうです。(土地は広いですからネ)Dscf1075

この看板は、「ブルーモスク」が外部の観光客に案内している「入場可能時間表」です。現役のイスラム教モスクですからコーランが優先だそうです。  コーランのお祈りは「夜明け前」「正午」「午後三時頃」「日没時」「午後八時頃」の一日5回行われます。Dscf1076
「ブルーモスク」は正式名称を「スルタン・アフメット・ジャーミー」といい、15世紀にオスマン帝国の第14代スルタン・アフッメト1世が建造したモスクで、世界で一番美しいモスクだと言われているそうです。   内部は天井が高く、明り取り窓が多く、明るいブルーを基調にしたタイルやステンドグラスで彩られ、白地に青の色調の美しさから通称「ブルーモスク」と呼ばれているそうです。Dscf1080
特に高さ43m、直径24mもある大ドームは吸い込まれるような美しさでした。Dscf1082
床は土足禁止でふわふわの絨毯が敷き詰められていました。一番奥に「ミフラーブ」という聖地メッカの方角を示す礼拝用の壁のくぼみがありました。リングの輪っかは照明用です。Dscf1089

巨大な中央ドームは直径5mもある「象の足」と呼ばれる4本の太い柱で支えられていました。Dscf1091
6本のミナレットを持つモスクは世界中でただ一つだそうですが、当時のスルタン・アフメット1世が建造を指示した時に「ミナレットを黄金(アルトゥン)で造れと命じたが「ミナレットを6本(アルトゥ)造れ」と聞き間違えてしまったというエピソードが残っているそうです。Dscf1102
そのミナレットも細かな彫刻がされている巨大な尖塔でした。  ミナレットはコーランの時刻になると、この塔の上から近隣の信者に呼びかけるために造られていたそうです。  今では上部に取り付けたスピーカーから、呼びかけています。Dscf1101

この後、「アヤソフィア」へ向かいます。







2012年1月 9日 (月)

トルコ旅行 八日目-1  12月15日(木)

5:00起床  5:30朝食はビュッヘです。こうした食堂車も懐かしいものになりました。

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Dscf0820やはり、昨夜はあまり良く眠れませんでした。 夜汽車の音は「ゴトーン、ゴトーン」とリズミカルに心地よく響いてくるはずでしたが、「ガタコーン、ゴトゴトン、ゴトン」と不規則な音で安眠を妨げられました? たぶんレールの繋ぎ目が不規則だからと思われます。でもこれも旅の風情?でしょう。(江本さん眠そう)

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この二人は「ごきげん」

まだ外は真っ暗です。

7:00 だいぶ明るくなってきました。 今日も晴れです。

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7:25 ボスタニク駅を通過。 もう間もなく終点です。
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高い建物が多くなってイスタンブールに近づいています。Dscf0838

7:30 ほぼ定刻通りイスタンブールの「ハイダルパシャ」駅に到着です。Dscf0854

窓越しに見えるプラットホーム見えてきました。手前のトルコのマークは列車の窓ガラスです。Dscf0855

「ハイダルパシャ」駅のプラットホーム。 この駅はここで終点です。イスタンブールのアジア側にありここからトルコのアジア側(アナトリア地方)の各地へ始発列車がスタートして行くそうです。Dscf0857
これが乗ってきた「アンカラエクスプレス」の機関車です。この「アンカラエクスプレス」は、間もなく同じ路線を走る高速鉄道にバトンタッチして引退するそうです。
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「ハイダルパシャ」駅では海側に降りてバスを待ちました。 この樹の向こう側が駅舎です。
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「ハイダルパシャ」駅、駅舎の南側にはモスクが見えました。アーチは「ハイダルパシャ駅」の出口ゲートですから「Good bye」と書かれていました。Dscf0866

「ハイダルパシャ」駅を出発したバスは、アジアサイドの観光地を回ります。最初に向かったのは「チャムルジャの丘」標高267mの展望台です。 「ボスフォラス海峡」の向こう側にヨーロッパサイドがパノラマのように見渡せました。 少しガスッていて鮮明な写真は撮れませんでしたが、肉眼ではそれなりに見えました。Dscf0893_2

「第一ボスフォラス大橋」と、その向こうにイスタンブール新市街地が見えました。Pc150523
「チャムルジャの丘」公園にも「カチガラス」が餌を啄ばんでいました。Dscf0895
次に向かったのは、「ウシュクダール」。 途中追い越した路線バス。Dscf0919

9:30 「ウシュクダール」の街に入りました。「ウシュクダール」は港町です。 ガイドのアイハンさんがCDで流してくれたメロディを聴いて歌手の「江利チエミ」を思い出しました。「ウシュクダラはるばる訪ねてみたら~」の、あの歌でした。 そうかあの歌はトルコの歌だったのか。  当時「江利チエミ」もトルコへ来たのだろうか?などと・・・・・。 帰国してから「You Tube」のオールディズで江利チエミの歌を聴きました。Dscf0921
「ウシュクダール」の雑貨屋さん?看板にトルコ語で「ウシュクダール」と読めます。  トルコ語はイスラム社会なのにアラビア語表記でなく、ローマ字表記ですから意味は解らなくても発音はしやすい言葉です。(アラビア表記しているところもありましたけれど)Dscf0922
街中ですれ違った「ホンダ」のオートバイ。(トルコにはホンダの四輪車生産工場はあるそうですが二輪車は輸入だそうです)Dscf0924
「ウシュクダール」から「ボスフォラス海峡」の向こうに見えたヨーロッパサイドの「ドルマバフチェ宮殿」と新市街地。
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「ボスフォラス海峡」沿いに南下すると、海の中に「クズ塔」(乙女の塔)が見えてきました。ガイドのアイハンさんによると歴史は古く、税関や見張り塔、灯台などに使われたそうです。  「乙女の塔」の伝説は「かってのスルタンが自分の娘が若くして死に至るという占いを否定して、この塔に娘を隠して育てた。娘が二十歳になった時の誕生日の祝い品の中に毒蛇が隠れていて、娘は噛まれて占い通り死んでしまった」というような悲しい伝説が残っている塔だそうです。   そんな伝説の塔もなぜか今は「海上レストラン」になっていました。   「乙女の塔」の向こうにかすんで見えるのは、イスタンブール・ヨーロッパ側、旧市街地の「トプカプ宮殿」や「ブルーモスク」です 。午後からあちら側を観光します。   また、この辺りの海底深くを現在トンネル工事中で近い将来「ヨーロッパ側」とアジア側」が海底トンネルでつながるそうです。
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10:00 「第一ボスフォラス大橋」を渡ってヨーロッパ側へ向かいますが、この通りの大渋滞。ダラダラ、ダラダラと渡ります。   「ボスフォラス海峡」に架かる橋は、この橋とこの北側にある「第二ボスフォラス大橋」という橋の2つしかありませんので、イスタンブールの大渋滞は日常茶飯事で現地の人たちは落ち着いて譲り合い、乱暴な運転は見かけませんでした。
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それでもこの第一大橋の南側に第3の大橋を作ろうという計画もあるようです。Dscf0963
10:40 やっとイスタンブール・ヨーロッパ側の新市街地「タクシム広場」につきました。  ここにはトラム(路面電車)が走っていました。  この先が新市街のメーンストリート「イステクラル通り」で、車の乗り入れが禁止されていました。Dscf0980
通り沿いにあった両替屋さん。日本円を見ると1リラが50円になっっていました。「アタチュルク国際空港」の両替所では1リラが手数料込で45円でしたから、10%も割高ということになりますね。Dscf0983
「イステクラル通り」を歩いているとトラムがきました。トラムだけは大衆の足?ということで通行OKだそうです。

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街角の焼き栗屋さん。ここでも誘われる匂いが漂っていました。Dscf0985
こちらは「宝くじ屋」さん。近づくと「ロト、ロト」と言っていましたが、日本人には売ろうとしませんでした。(換金できないですものね)Dscf0989
こちらはサンタさんのコスチュームで売れてますか?このドラムをぐるぐる回しながらドラムについている宝くじを売っていました。Dscf0991
ありました!!  このでっかい「ザクロ!!!」 見てください。  持ち帰りの他、その場でザクロジュースにして売ってました。Dscf0993
トルコ名物の名物「ドネル・ケバブ」。羊の肉を筒状に重ねてブロックにしたものを縦に吊るして、肉の背中側のガスコンロの火でジワジワトと回しながら焼きあげる。   焼き具合を見ながら焼けた部分を受け皿にそぎ落として、その肉を生野菜と一緒にパンにはさんでサンドウイッチにしてアツアツを食す。(昨夜、アンカラエクスプレスの夜食で食べたあの味です)Dscf0997
タクシム広場の中央に高さが12mあるトルコ独立の父「アタチュルク」の銅像がありました。
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タクシム広場の花屋さん。Dscf1005_3

その2へつづく・・・・・

2012年1月 8日 (日)

トルコ旅行 七日目 12月14日(水)

6:00 起床

7:00 朝食はバイキング 右奥はザクロジュースです。Dscf0564
今朝はツアー仲間の6人くらいがバルーンツアーに出かけていますから、我々はゆっくり起きて久しぶりにのんびりしています。(一人20,000円では・・・・・)

でも朝食後外へ出てみると、バルーンが幾つも飛んでいました。寒いだろうけど楽しそう。後で参加したカップルに聞きましたら「それは素晴らしかったですよ」だって。そうだろうな。Dscf0567
今朝はすっぽりと雪化粧の「エルジェス山」3,916mがはっきりと見えました。トルコ共和国の最高峰だそうです。Dscf0568
昨夜ライトアップされていた「ウチヒサール」の要塞がくっきりと見えて「おいで、おいで」と呼んでいるようでしたので、このあと自由時間に行ってみることにしました。Dscf0575
これは、ホテルの廊下のデスプレーです。この階の奥には「サウナ」「トルコ風呂・ハマム」「スイミングプール」がありました。Dscf0581
ここはフロントです。このフロントマンは「おもてなしの心」を持ち合わせていないようで、極めて事務的な対応をしていました。Dscf0582
ホテルを出て10分ほど歩くと「ウチヒサール」は巨大な岩の要塞となって目の前に迫ってきました。Dscf0587
さらに近づくと、巨大な岩山は穴だらけといった様相です。Dscf0590
その要塞から見下ろした山麓の奇岩群。Dscf0591

要塞の中から見えた奇岩群。この穴の先は断崖絶壁で下を見ると足元がすくんでクラクラしました。 早々に退散しました。 もっと上があるようですが、集合時間が迫っていましたからここまでで降りることにしました。Dscf0600

「ウチヒサール」からの帰り道。一軒の庭先に珍しいものを見つけました。農耕馬などにつける馬具が壁に架かっていました。 ここは農家なんでしょうね。  だいぶ古いもので今は使われていないようです。日本でも農村へ行けば見ることができるでしょうか。Dscf0602
その直後、今度は現在の主役、トラクターが活躍していました。Dscf0603
ホテルへ帰る途中にこんなレストランがありました。朝の8:45まだ開店していませんでした。 店の名前はなぜかフランス語?「ムートン・ルージュ」直訳すると「羊の口紅」? なんとなく「美味しいの?」ですね。Dscf0605_6
さらに行くとこの看板。「ピジョン・バレー」鳩の谷とありました。 その昔この谷には奇岩の穴に鳩を住みつかせ、その糞をやせた土地の肥料にして農耕をしていたそうです。Dscf0606

その「ピジョン・バレー」は奥深くまで続いていました。

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ホテルの近くでおばさんがて手作りの刺繍細工物を売っていました。杉山さんテーブルクロスをお買い上げで~す。Dscf0613
近所に住むというこの奥さん、「こうやって編むのよ」と実演して見せてくれました。Dscf0615
「ウチヒサール・カヤ・ホテル」に戻って玄関前で「ハイッパチリ」。トルコでは英語で書くとHOTEL、トルコ語だと「OTELI」と表示するようです。Dscf0617

9:30 予定通りホテルを出発しました。 ホテルを出て15分ほどで、ここはウチヒサールの北側のスポットです。「ウチヒサールの要塞を裏側から見上げます。
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バスがついて、しばらくすると大きなラクダが現れました。 ラクダに乗って写真を撮りませんか? おじさん今日の仕事始めのようです。さっそくツアー仲間の姉妹が挑戦していました。Pc140441

土産物店では色々な雑貨が売られていました。 奇岩群のミニチュア置物。
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手編み毛糸のマフラー、帽子、手袋、靴下など

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磁石のついた飾り小物Dscf0633
こちらも色とりどりの飾り物Dscf0634

トルコと言えば「目玉」。   ガラス細工の魔よけの目玉の磁石付き飾り物。    この「目玉」、ギリシャ神話の中で「女神アテナ」に従えている「フクロウ」が夜中まで目を開けて禍から守っているという伝説にあやかって作られているそうです。  「目玉」は「フクロウの目玉」だったんです。 Dscf0635
「目玉」のついたキーホルダーいろいろ。Dscf0636

手編みの靴下たくさん。Dscf0637
ガラス細工のブレスレットいろいろDscf0638
土産物屋さんを冷かしていたら、いつの間にか江本さんがラクダに乗っていました。アラビアのロレンスを気取って「どうだ!!」という感じでした。おじさんの後ろの奇岩は、カッパドキアのパンフによく載っているきれいな岩山です。Dscf0639
その美しい岩肌を持つ岩山です。写真をクリックして拡大してみてください。この岩山も年々削られて後退しているようです。Dscf0642_2
10:00 ギョレメの街ともお別れです。 街の中には、バルーンツアーやレンタルバイクの看板が目立ちました。Dscf0648
バスは更に北の内陸部へ向かいます。Dscf0651

農園風景が延々と続き、こんな写真も取れました。たぶん北海道などでも見ることができる「牧草ロール」だと思います。日本のものより少し小ぶりですが。Dscf0658
北へ進み、高度もどんどん上がっていきますから、次第に寒くなってきました。Dscf0667
12:15 バスは「ボアズカレ」「ハットウシャシュ」方面へ右折しました。ここを左へ行けば「アンカラ」方面です。Dscf0665

12:45 「ヤズルカヤ神殿跡」が見えました。Dscf0688

12:50「ヤズルカヤ神殿跡」の入口です。Dscf0687_2

「ヤズルカヤ神殿跡」の看板Dscf0670
「ヤズルカヤ神殿」はヒッタイト王国の神殿でした。Dscf0671
「12神」といわれる神様はとんがり帽子を被っていました。Dscf0672
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これも神官でしょうか?Dscf0678_3

王様か?神官?か。また調べておきます。Dscf0682


表にあった看板です。
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13:30 お昼は近くのレストランで。 ワインは地元の「ヒッタイトワイン」です。10リラ(450円)Dscf0694
メーンディシュはナスと肉(羊かヤギか?)の煮物Dscf0695

14:00 「ハットウシャシュ遺跡」に到着。
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ライオンの顔をした巨石は門柱でしょうか?Dscf0700

ハットシャシュの神殿跡Dscf0701

こんな美石がありました。「ヘルパンキー」というこの石は寒い冬でも温かいとかで、この石を抱いて願い事を言うとかなえられて幸せになれるとか?Dscf0702_2
さっそく若い娘さんが挑戦してました。Dscf0703
これは井戸の跡か?バスタブか?Dscf0709
城塞の跡と言っても広大な土地に崩れ落ちた遺跡群という感じでした。Dscf0712
もう一度ライオンの石Dscf0716
この角度の方がライオンらしく見えますか。紀元前1500年ぐらいのものですから、このころからライオンは特別な動物だったようです。(強さを誇示するための)Dscf0718
その「ライオンの門」もありました。左の像は修復してありました。右の像は本物のレプリカだそうです。Dscf0723
スフィンクスの門の下にある地下トンネル。71mあるそうで、城塞の外につながっているそうです。
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こちらが外側の出口です。Dscf0741

その地下トンネルの上にある「スフィンクスの門」。残念ながらスフィンクスは足しか残っていませんでした。Dscf0744
これは「王の門」です。  修復されていますのでモルタル造りのようでした。この遺跡の貴重な物は、ほとんどがトルコ国内外の博物館などに保管されていてここにあるものはレプリカばかりだそうです。(そのままでは雨ざらし野ざらしですからやむおえないでしょうが)Dscf0749
その「王の門」についての解説版がありました。Dscf0751
15:30 バスは西進して「アンカラ」へ向かっています。トイレ休憩時にさっそく洗車です。
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アンカラにつけば、その先は「アンカラエキスプレス」でイスタンブールへ向かいますので、このバスとは間もなくお別れです。イスタンブールから五日間運転してくれたドライバーの「ギョカイ」さんともお別れです。Pc140460

17:10 すっかり日が落ちましたあ。 最後のトイレ休憩です。Dscf0765
トルコの代表的なトイレです。手前のほうを向いて使用します。水洗ですが水は水道の蛇口から、この赤いポットにためて自分で流します。トイレットペーパーがありませんから自分の手で始末して、その手もついでに洗います。もしトイレットペーパーを持っていても使用したものは流せません。水流の勢いが弱くパイプづまりしてしまうからです。ゴミ箱に入れるか(ゴミ箱を置いてあるところもあります)お持ち帰りです。

ツアーで泊まったトルコのホテルは全て便座式の水洗ですから問題ありませんでした。ただし暖房便座やウオッシュレツトは、皆無でした。Dscf0763

18:10 アンカラ駅に到着しました。

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駅のロビーはガランと大きな建物で、中にはレストラン、雑貨屋さん、キヨスクのようなお店がありました。Dscf0768

18:15 その、アンカラ駅構内のレストランで夕食です。トルコではレストランなどでコップの水はサービスしていません。有料で頼むとペットボトルの水が出てきます。このお店では3リラ(135円)でした。Dscf0771

かぼちゃのスープ?Dscf0773
エフェスビールはグラスで300cc位で10リラ(450円)でした。トルコではほとんどがエフェスビールでしたが、味は淡泊でさっぱりしています。エフェスビールは絶対に黒がお勧めです。今回は一度しか飲みませんでしたがコクがあってうま味がありました。Dscf0775

これはメーンディシュの「肉と野菜のごった煮?」下からアルコールランプで温めながら、自分でとって食べました。 これを見てもお分かりの通り、このツアーではもう一度食べたいと思うような食事は一度もありませんでした。 格安ツアーですから食事に対する経費は中の下くらいのランクで設定されているようでした。
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食事の内容はともかく、このレストランは歴史を感じさせる造りでかなり年代物という感じでしたが、壁にはトルコ共和国建国の当時からのたくさんの写真が掲示されていました。
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食事の最後に出たデザートは、砂糖がたっぷりの煮込みパンのようなケーキでしたが、甘すぎて、ちょこっとだけつつきました。Dscf0781
22:30アンカラ発、イスタンブールの「ハイダルパシャ」駅行に乗ります。 Dscf0791
出発まで時間がありましたので近くをぶらつきました。 ツアーのメンバーの中にはタクシーで街中まで行ってきた強者もいたようです。 

アンカラ駅前の広場は何もありませんでした。Dscf0799

アンカラ駅構内右手にある地下道から駅の裏側へ行くと、地下街に雑貨土産物店がたくさんありました。 アンティークなものなどいろいろありましたから、もう少し見たかったのですが、20:00を過ぎて、バタバタと閉店準備をしていました。

そして22時過ぎ。プラットホームに「アンカラエクスプレス」が入ってきました。 Pc150494

指定寝台車は5号車4号室でした。Pc150495

定員二人の客室は格納式二段ベットで、一昔前の日本の夜行列車を思い出しました。座椅子の前はテーブルと洗面台が備わっていましたが、大きなスーツケースが二つ同居しましたから狭いこと。Dscf0815
この黒い紐を引っ張ると上のベットが開いてワンタッチで完成。という仕組みです。アンカラを22:30の定刻に出発して間もなく、ベットメーキングのおじさんが各部屋を回り、お客さんを外に追い出してベットを作っていきました。愛想なしの割には2リラの手間賃を当然のように受け取って次の部屋へ行きました。Dscf0814

これが洗面所。もちろん水は飲めません。Dscf0812
部屋の外は通路ですが、前から人が来るとすれ違うのがやっとです。少し太った人が来たら近くの個室へ失礼して避けるか、バックするしかありませんでした。Dscf0806

さて、この「サンドウイッチ」。一つを二人で半分づつ食べました。さっきアンカラ駅裏の雑貨街で夜食用にと買ってきた「ケバブサンド」2リラ(90円)ですが、ケバブ少しに野菜がたっぷり挟んであって、パンも柔らかく、包装こそ簡単な紙で包んであっただけでしたが、これが美味かった。 今回の旅行で一番美味かったものはと聞かれたら、この2リラの「ケバブサンド」と答えますネ!!  アンカラ駅に立ち寄ることがありましたら、ホーム右手の地下通路を裏に出て地下街に入ったすぐ右側にある、若者がやっている「ケバブサンドウイッチ」で買って見てください。 納得してもらえるでしょう。

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11:30 明朝も早いですからそろそろ休みます。  (Good night)

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2012年1月 4日 (水)

トルコ旅行六日目-2  12月13日(火)

「アヴァノス」の交差点にあった標識には「ゼルベ」へ7Km、「ギョレメ」へ9Km、「ウチヒサール」へ11Km、と、カッパドキア地方の街の名前がありました。(「ウチヒサール」は今夜泊まるホテルがある街です)

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こんなお店もありました。 「この店では手作りの陶芸作品ができますよ」と呼び込んでいました。 この町は陶芸の街でもあるようです。Dscf0412_2
14:20 「パシャバー」(キノコ岩の谷)が見えてきました。遠くから見ても「シメジ」のような奇岩がニョキニョキと生えているように見えました。Dscf0415_2
これは根元がくっついた「シメジ?」Dscf0417
岩中の白い部分は「凝灰岩」だそうです。頂点の黒っぽい岩は硬度の異なる「溶岩」だそうです。Dscf0424
なぜカッパドキア地方に、こうしたキノコ岩ができたのか?  それは数億年前に、この地方から南東に50~60Km離れたところにある「エルジェス山」(3,916mの火山)が何回も大噴火を繰り返したために、その噴火の度に各層に硬度の違う溶岩が凝灰岩となって降り積もり、更に長い年月を経て雨や風で浸食を繰り返した結果、このような奇岩が生まれたそうです。     この岩は「松茸?」みたい。Dscf0425
この岩は、「Wateh a hut」(見張り小屋)なんて名前はどうでしょう。(私が今回、命名しましたが)Dscf0426
江本さん「はい!!ポーズ」ブログに載せちゃいます。Dscf0430
それにしても、こんなに平らな所にどうして残っているのか不思議?です。おそらく何千トンもある巨岩ですから移設できるとは思えませんし。(後ろの土産物店や自動車と比較してみてください)Dscf0437
土産物店の軒下にはトルコ雀がパンを啄ばんでいました。Dscf0438
そして次の目的地へ向かう途中にも奇岩&奇岩のオンパレード。Dscf0441
15:00 「ゼルヴエの谷」到着。Dscf0443
「ゼルヴェの谷」には50年くらい前までは人が住んでいたそうです。Dscf0448

真ん中の入口のある岩。  この岩にも私が名前をつけました。 「くしゃ」 口を一文字にしている不機嫌そうな顔「くしゃ」 いかがでしょうか?Dscf0451
「ゼルヴェ野外博物館」の看板が出ていました。  が立ち寄りませんでした。Dscf0452
15:15 ギョレメの街へ向かいます。Dscf0456


こうした奇岩が、あちらこちらに・・・・

ギョレメの街を過ぎて「カイマルクの地下都市」へ向かいます。
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途中でカッパドキア地方を見渡せる絶景スポットに立ち寄りました。このお兄さんの持つている白いものは、アイスクリーム。 トルコで有名な「粘るアイスクリーム」です。

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好奇心豊かな杉山さん「あっ 落ちる!!」遊ばれていました。一見ソフトクリームみたいですが、ネバネバですから逆さにしても落ちないんです。
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これが有名な「ローズバレー」。夕刻にこの谷が夕日を浴びて紅に染まることから、名前が付いたそうです。Dscf0469

「ローズバレー」の南側Dscf0470

更に南東の方角の遠くには、このカッパドキア地方の生みの親ともいえる「エルジェス山」3,916mが見えました。Dscf0471

いつの間にか、観光バルーンが西日を浴びて飛んでいました。Dscf0480

展望台にいたワンちゃんです。 どこかのCMではないですけれど「ダイワワン」でなく「トルコワン」です。   トルコでは、観光地のどこへ行っても猫と犬が親しげに「ウエルカム」と近づいてきます。 Dscf0483
またしばらく走ると、「カイマルク」「アンダーグラウンド・シティ」へ1Kmの看板。
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16:00 着きました。「カイマルク地下都市」です。Dscf0505
地下都市入口前の土産物店は閉店間近でした。厄除け目玉のキーフォルダーなどが、20コデ・センエン」 もっとも帰りには「30コデ・センエン」になっていました。Dscf0507

「カイマルク地下都市」の入口です。 中は暗くて、狭くて、長く下って、長く上ってきますので、腰痛、心臓疾患のある方は、自己責任で判断して先にお進みください。 とのこと。Dscf0508
最初に入ったのが、地下都市の教会。 この地下都市は地下8階まである巨大な地下都市で、キリスト教徒がアラブ人の迫害から逃れるために造られたものだそうで、多いときには7、000人ぐらいが生活していたそうです。(非常時のみ使用されていたようです)
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外部からの侵入者があってもこの石の扉を閉めてしまい侵入を防いだそうです。石の真ん中の穴は、外部の様子をうかがったり、槍で攻撃したりして使ったようです。Dscf0516
この穴は、封鎖されていました。Dscf0517
地下道は、右へ左は多くの通路がつながっていました。Dscf0518
暖炉でしょうか? キッチンでしょうか?ガイドを聞き漏らしました。Dscf0519
これは通気口です。40mもの竪穴で外気を取り入れていたようです。Dscf0521

ここは家畜部屋。ヤギや羊も運び入れて生活していたそうです。壁の窪みは家畜に餌を与えた飼い葉桶?だそうです。Dscf0522
今回は地下4階くらいまで下って、Uターンして別の道を戻ります。通路は全て人一人が通れる幅しかなく、万一敵が侵入してきても防御しやすいように造られたようです。Dscf0523
途中には、セントラル広場のような空間もありました。映画の世界のようにタイムスリップできれば、是非体験してみたいスポットでした。Dscf0526
この部屋は、穀物などを貯蔵していた場所だそうです。Dscf0527
17:10 を過ぎて着いたのが陶器工房。 カッパドキアの陶芸がいかに優れているのかとのレクチャーと、ろくろの実演を見たあとで、Dscf0531

細かな作業の絵付けを見学。  もちろん、そのあとでお買い得コーナーへご案内。  何故か?お買いものコーナーは名品そろいなので撮影禁止?でした。 なんか?胡散臭いと思ったのは私だけでしょうか?

Dscf0533
そんなわけでホテルに着いたのは18:30でした。  19:00からバイキングの夕食。Dscf0537
果物はザクロ。 トルコではザクロをたくさん作っていました。ザクロジュースは何処へ行っても絞りたてを飲めました。Dscf0539
21:00 ホテルのロビーから見た「ウチヒサール」の要塞跡。 ライトアップされていました。Dscf0547
今夜の宿は「ウチヒサール・カヤホテル」。パンフでは洞窟ホテルとなっていましたが、洞窟風ホテルと言ったほうが正しいと思います。Dscf0549
このお酒は「ラク」といい、ブドウから作られている蒸留酒でアルコールは45°もあります。 水に割ると白く濁るので「ライオンのお乳」とも言われていて、 トルコでは大衆的な酒だそうです。(日本でいえば焼酎?)カッパドキアへ来る途中の売店で小瓶を買ってきましたので試飲してみました。(美味ければお土産にと期待していましたが)  飲んでガックリ。甘いんです。 アニスという地中海東部地域でとれるせり科の植物で香りをつけてあるそうですが、焼酎に砂糖水を加えて香草で香りづけしたような味でした。西村さん、杉山さん、私もNG!!。ただ一人、江本さんだけが「これなら飲める!!」「美味しいじゃないですか」とこのあとイスタンブールへ戻ってからお土産に買ってました。Dscf0552
明朝はオプションの「バルーン観光」に行く人たちがいるので、起床は6:00、朝食7:00、ホテル発9:30とゆっくりです。 自由行動の時間が少しありますのでホテルの近所を散策してみます。  Dscf0551_3                                                                                   (Good night)


 

2012年1月 2日 (月)

トルコ旅行六日目-1 12月13日(火)

5:00 起床

6:00 朝食はバイキング 左のお皿は西村さんDscf0259

ホテルの部屋は11階。 朝焼けのコンヤ郊外。下の建物は大学だそうです。Dscf0262
              コンヤ郊外の街並みDscf0266

7:30 ホテルを出発。 今日は東のカッパドキアへ向けて約230Km走ります。Dscf0274
こんな直線道路が、東へ東へと延々と続いていました。Dscf0275_3

カッパドキアはカイセリの街の手前に位置しています。ですからバスはひたすらに「カイセリ」を目指します。

Dscf0277
8:45  スルタンハン村に到着。 シルクロードを旅するキャラバン隊が宿泊したという隊商宿がありました。(時間がなくて中は見学しませんでした)Dscf0283
村のメーンストリートには「トルコ共和国」の建国の父と言われている「アタティルク」のモニュメントがありました。Dscf0288
更にバスは東へ東へと走ります。途中に大きな製紙会社がありました。Dscf0290

こんな写真がトルコ郊外の代表的な一枚でしょうか? トラクターは郊外では必需品?Dscf0292

 右手に「ハッサン山」が大きく見えました。Dscf0297

9:40 「アクサライ」の街。  ベンツのトラック工場前を通過。Dscf0294

更に東へ。  この景色どこかで?  Windows XP 壁紙の写真みたいでした。Dscf0301
どんどん内陸部の高地へ向かっていますから、二三日前に降ったという雪が目立つようになってきました。Dscf0308

10:30 少し山岳地帯に入ったかな?と思っているうちにこんな景色が見えました。なんとなく家と山が合体しているよう見えます。

いよいよカッパドキア地方に(カッパドキアとは特定の街を言うのではなく、エリアの呼び名だそうです)入ってきたようでした。Dscf0312

10:45 そして最初に行ったのが「トルコ絨毯」の製造販売店。 見学というか買い物ツアーの立ち寄り店。Dscf0315
観光客用のデスプレーは演出効果バッチリのお店でした。Dscf0318
この地方のお姉さん、おばさんたちが細かな手作業を見せてくれていました。Dscf0319
繭玉から繭糸取り出す実演もしていました。日本では見ることができなくなりましたので懐かしかったです。(60年くらい前に信州のおばさんが紡績工場で働いていたころ見せてもらったことがあります)Dscf0322_2

そして、いよいよ戦闘開始。 「良い絨毯のの見分け方」から「お買い得チャンス」です。「ご予算いくらですか?」まで。 熱心な売り込み!!  ついにウン万円の玄関マットを買わされてしまいました。(1月2日現在まだ届きません。船便で1ヵ月くらいで届くといっていました)Dscf0333

確かに良いなと思うものは何十万もしていました。Dscf0337

さて、いよいよ今回の「トルコ旅行」メインスポット、カッパドキア地方へ到着です。それらしい風景が眼下に見えてきました。Dscf0342
12:10 最初についたのは「エセンテペ」(三姉妹の岩またはスリーシスターズ)Dscf0351
「三姉妹の岩」なのに姉妹にしか見えません。でも左側の岩柱の手前に重なる小さな岩柱があるのがわかるでしょうか?Dscf0357

立ち位置を右に大きく変えてみると判りました。横から見ると末妹がチョコンとありました。Dscf0356_2
12:30 次に行ったのは、「デヴレント」(ラクダ岩) ガイドブックなどにも登場している奇岩のひとつ。Dscf0371
そのラクダ岩の前の土産物店には、いろいろな雑貨が売られていました。ここではピスタチオとアーモンドを買いました。Dscf0375

              カッパドキアの土産物Dscf0376

そして、「アヴァノス」の街へ。  お昼は洞窟レストランでマス料理を。Dscf0383
マスをソテーにしただけのシンプル料理です。Dscf0388
「アヴァノス」の中心部にあった伝統陶芸の記念碑?Dscf0406
「アヴァノス」の街にも美しいモスクがありました。Dscf0407

2011年12月28日 (水)

トルコ旅行五日目 12月12日(月)

12月12日(月)  5:00起床

6:20朝食 バイキングDscf0036


夜が明けるとホテルの部屋の窓から見える山の中腹のステージに、鹿の彫刻らしいものが見えました。Dscf0048

7:30 ホテルを出発するとすぐに、右手に石灰棚のような白い山腹が見えてきました。Dscf0057

やはり「パムッカレ」でした。この後バスは迂回して、この石灰棚の上に向かいました。Dscf0062

7:45 「ヒエラポリス」到着。  「ヒエラポリス」は紀元前2世紀頃にはすでに存在していた都市で、良質の温泉に治療効果があるということで人々が集まったようです。何度も大地震にあって再建されたようです。 遺跡はパムッカレの石灰棚の背後に広がっていました。Dscf0073

ローマ時代にメイン道路だったところだそうです。Dscf0078

ここも、エフェス同様で原型をほとんど失っていました。Dscf0080
さらに奥へ進むと目の前に石灰棚が現れました。  しかし残念ながら流れている温泉の量が少なく、真っ白いはずの石灰棚の一部が藻が生えたように緑がかっていました。Dscf0081
この辺りも、ほとんど温泉が流れていませんから汚れていました。Dscf0085_2
温泉の湯量が少ないのは、近年この辺りに多くのホテルが乱立して建てられ、温泉を引き込んでしまったからだそうです。 昨夜のホテルもその一つかも?  早目に規制して手当てをしないと「パムッカレ」そのものがだめになってしまうのではないかと思われます。

それでも計画的に温泉を流しているところでは、観光客が膝まで浸かって足湯を楽しんでいました。 冬の朝8:00ですから寒空に湯けむりが幻想的なシルエットを演出していました。

さっそく裸足になって足湯にと歩き始めましたが、石灰棚は冷え冷えとして冷たく、ザラザラで足裏に痛く、よたよた歩きでやっとついて入ってみると「ぬるい!!そしてぬるぬるの粘土が底に堆積していました」。   温まって足元からポカポカとなどと期待していたのに・・・・・・早々に退散!!!

Dscf0089_2

それでも不思議なことに靴下をはいて靴を履くと足裏はポカポカしていました。足裏に痛かった石灰棚のザラザラでマッサージ効果があったようです。Dscf0090


この人たち、かなり頑張って入っていました。Dscf0091
遠くに白亜の石灰棚が見えました。この風景のビックサイズを期待していましたから少し残念でした。Dscf0098

反対側からの眺めです。Dscf0103
上の写真のズームアップです。Dscf0108

奥のほうは人影もまばらでした。Dscf0120


その後、「テルマル」へ。 ここはヒエラポリスの大理石の柱などがゴロゴロと底に沈んでいる温泉施設。 冬だからか誰も泳いでいませんでした。(入浴料は別料金だそうです)Dscf0128
Dscf0127
Dscf0132

温泉のサイドベンチの後ろはパムッカレの遺跡群でした。Dscf0130

9:00 「コンヤ」へ向かって出発。途中雪を被った高い山が見えました。Dscf0148
10:30 「ディナル」の街でトイレ休憩Dscf0151

ここの名物は濃厚なヨーグルトとか。Dscf0150
ありました。ケシの実をたっぷりかけてありました。 5リラ(230円)
Dscf0149

その後も、バスは荒野を東へ東へ走ります。Dscf0154
途中見かけたこの山積みは、「砂糖大根」だそうです。Dscf0157
12:45 昼食休憩 レストラン到着です。Dscf0163
              前菜は豆を鞘ごと煮たもの。Dscf0166
              トルコ風のピザ。Dscf0168
              ナスと肉の煮込み。  Dscf0169

バスはこの間、洗車していました。 くるりと洗車して20リラが相場のようでした。Dscf0176

15:30 「コンヤ」の街につきました。「コンヤ」は人口約160万人のトルコでも古い歴史のある街だそうです。  12,000年前の住居跡が残っているそうです。Dscf0185街の大通りを走っていると、なぜか「日本庭園」という看板があってその後ろに日本庭園が見えました。 一瞬のことでしたので写真が撮れませんでした。


15:40 「インジェ・ミナーレ博物館」外から見学。もとはイスラム教の神学校だったそうです。Dscf0196

16:00 「メブラーナ博物館」に到着。旋回舞踊で有名な「メブラーナ教団」の総本山だったところで、今は博物館になっていました。Dscf0210
博物館ですから墓標もいくつかが展示されていました。Dscf0213

Dscf0214_2

              博物館内Dscf0216

              詳しい説明はよく解りません。(撮影禁止ですから隠し撮りしました)Dscf0220
Dscf0217

この後ろの青い塔が「メブラーナの特徴だそうです。Dscf0235
夕日にシルエットの「メブラーナ博物館」Dscf0229
博物館横のトイレの片隅に、こんな部屋がありました。  座椅子と水道栓。足元の排水設備から想像すると、ここで手足を洗って清めるところではないかと思われました。Dscf0239

敷地内の売店で展示していたガラス細工の瓶が二つ。写真を撮っていると店員さんが「NO」とのこと。Dscf0243これもきれいなガラス瓶でした。Dscf0244

日が沈んでしばらくすると、ライトアップされた「メブラーナ博物館」Dscf0245
トルコのタクシーは、どこへ行っても黄色のボディ色でした。Dscf0247
17:15 ホテル到着。

18:30 夕食  ビール15リラ(670円)は、ホテル価格でトルコでは高いです。Dscf0256
20:00 近くのスーパーを散策しましたが、特に珍しいものは見つかりませんでした。
でも、この成清さんが書いた案内メモは出発日を間違えていました。明日は13日なのに14日と。(珍しい勘違いです)Dscf0255明日も5時起きで、パムッカレへ向かいます。  Good Night

2011年12月26日 (月)

トルコ旅行四日目  12月11日(日)

12月11日(日)エーゲ海に沿って南下して「エフェス遺跡」へ。そして内陸部へ東進して「パムッカレ」へ

5:00起床 6:00バイキングの朝食Dscf9726

7:00 ホテルのプールサイドを抜けて、朝焼けのエーゲ海を見にいきました。(東側)Dscf9732
海岸は砂浜で夏のリゾート海岸として賑やかさを想像できました。(西側)  

何といってもエーゲ海ですからネ。  海岸の砂は少し茶色の粒砂でした。Dscf9728
朝焼けに染まる「グランド テミゼルホテル」は夏のリゾートホテルで、冬は空いているようです。Dscf9735
7:30にホテルを出発。しばらく走るとバスが止まりガイドの「アイハン」さんが「ちょっと泥棒してきます」とバスを降りて畑に入っていきました。どうやら綿畑のようです。Dscf9745

これがその綿花です。バスの中で回しているうちにどこかへ?消えてしまいました。(^¥^)
Dscf97468:10 トルコ石店へ立ち寄りましたが、高価な宝石でよく解りませんでした。

エフェスへ向かう途中に水蒸気をもうもうと吹き上げる工場がありました。地熱発電所ではないかと思われました。Dscf9752
こんな高速道路が主な都市を繋いでいるようで、今も各地で盛んに道路建設が進められていました。Dscf9759
10:00 エフェスへ向かう途中でトルコで二番目に大きな街「イズミール」の郊外を通過しました。Dscf9762
今日のお昼は遅くなると聞いていましたので、今朝ホテルで手作りしたサンドウィッチをペロッ!!Dscf9767
エフェス近くの街に入りました。Dscf9774_2

セルチュクの街に入ると丘の上に城壁が見えました。Dscf9775
11:30 エフェスに到着Dscf9776
エフェスは地中海東部有数のローマ遺跡で、紀元前から2世紀ごろまで反映した港湾都市だったとされ、その当時はこの近くまで海があったようです。Dscf9778
紀元前の下水道管?だそうです。文明はかなり高度だったようです。Dscf9780
ギリシャやローマを感じさせる遺跡でした。(行ったことはありませんが)Dscf9782
神殿の柱でしょうか?Dscf9784
この像は象だそうです(シャレではありません)鼻の部分が取れてしまった象の像です。Dscf9787  
             

 ここは音楽堂(オディオン)跡。当時は屋根で覆われていたそうです。Dscf9790

プリタネイオン(市議会堂)Dscf9795

足元は大理石の石畳でした。Dscf9799

こんなレリーフもありました。Dscf9801

Dscf9803

色々な建造物がありましたが残念ながら保存状態が良くありませんでした。
この像は勝利の女神「ニーケー」。右手に小麦の葉、左手に月桂樹の冠を持っています。

Dscf9806_4

  右手の下の衣の部分をモチーフとして「ナイキ」のロゴができたそうです。そう言われてみると、確かにナイキのロゴマークが浮かんできました。(ローマ時代のものだそうです)

こんな彫刻の土石も。Dscf9810
メインストリート(クレティア通り)は往時の栄華を想像させてくれました。Dscf9812
この像はガイドさんの説明を聞き漏らしました。Dscf9819
この像の首は何処へ?Dscf9820

この建物(トラヤヌスの泉)は、もっと高くそびえていたものだそうですが、中間の柱が抜けて低い建物になってしまっていました。Dscf9823
傍らに当時の建物の想像図がありました。Dscf9826
モザイク模様のフロアがありました。細かな色タイルが敷き詰められていました。Dscf9827
モザイクフロアの拡大写真です。色タイルが使われていました。Dscf9829
この建物は「ハドリアヌス神殿」は装飾の美しいアーチで目立ちました。Dscf9835
石のアーチ門には多くの彫刻が残されていました。像は運命の女神ティケだそうです。Dscf9836
この真ん中の女性像は「メデューサ」だそうです。Dscf9837
梁にも多くの彫刻が残されていました。Dscf9842
公衆トイレの跡。洋式で下には水が流れる水洗トイレです。世間話でもしながら用を足したのでしょうか? 足元の溝は手洗い用で水が流れていたそうです。Dscf9845
「セルシウス図書館」は「アレキサンドリアの図書館」と「ベルガモの図書館」と共に当時の世界三大図書館の一つだそうで12万冊の蔵書を誇ったそうです。Dscf9862
この図書館はローマ建築屈指の建造物だといわれているそうです。エフェスのような遺跡が何故世界遺産に登録されないのか疑問に思いましたが、どうやら遺跡の重要な彫刻やレリーフなどのほとんどがトルコ国内や、外国の博物館などに運び出されていて、ここにあるものはレプリカだからなのかもしれません。Dscf9869
近くの路傍にも「メデューサ」らしい彫刻がありました。Dscf9874
このレリーフは何を物語っているのでしょうか?Dscf9875
紀元前三世紀に建てられた24500人収容の大劇場のスケールは圧巻でした。今でも時々コンサートなどに使われているそうです。Dscf9885
全長500mの「アルカディアン通り」。この先に港湾があって海、エーゲ海、地中海への玄関になっていたそうです。Dscf9892
近くには石棺がゴロゴロしていました。Dscf9910
             石棺側面の彫刻Dscf9916
その後「エフェス」近郊の「アルテミス神殿」を見学に行きました。この神殿は放火によって壊滅したと伝えられているそうですが、この石柱はギリシャのパルテノン神殿よりも大きく、壮大な建物だったようです。Dscf9924
「アルテミス神殿」の脇道に路上で土産物を売るおじさんの車が停まっていました。古いフィアットでしょうか?派手なボデーカラーと落ち葉が面白くシャッターを押しました。Dscf9929
13:40 レストランでランチです。珍しく「エフェスビール」ではありませんでした。」Dscf9933

              ミニピアッア?Dscf9934
焼き鳥のようなケバブの串焼きとごはん。Dscf9935

14:35 皮製品の店に立ち寄りました。 この店では皮のジャケットなどのフアッションショーなどを見たり、一部の人がショッピングしたりして一時間もいました。興味のない人には退屈でした。Dscf9950

18:40 パムッカレの「サーマルホテル パム」へ 到着

19:30 夕食はバイキングDscf9960

ホテルの温泉プール(この日は水でした)。窓の内側は室内温泉プール(この後入りました)。 茶色の石灰棚の上は屋外ミニ「パムッカレ」です。 温泉は鉄分を含んで茶色に濁ったお湯でした。Dscf9961
屋外のミニ「パムッカレ」は最上段が間欠泉で段々にパムッカレのように温泉が流れていました。 寒空でしたが海パンを穿いて挑戦しました。ぬるめの温泉で寒かったです。Dscf9963
この鍾乳石は人口のものです。Dscf9966

そして、トルコで有名な「ベリーダンスショー」ビール一杯で(11リラ、約500円)で楽しめました。Dscf9980
「ベリーダンス」はオスマン帝国の「ハレム」の中でスルタンのために踊ったといわれる妖艶なダンスです。イスタンブールのOPでは8,000円と聞きましたので、このホテルで体験することにしました。 このダンサーの腹筋は信じられないほど波打ったりぐるぐる回ったり、目が点点点でした。Dscf9982

観客も引っ張り出されて、即興体験ベリーダンス。 みなさん汗をかいてフーフー言っていました。Dscf9994_2

楽しい夜も更けて、明日も5時起きです。 明日は「パムッカレ」「ヒエラポリス」を観光して、「コンヤ」へ向かいます。

Good Nightです。Dscf9957_2

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